top of page

【 義母が人生の閉幕を覚悟する時間】

*2009年6月*
紫陽花と古いアルバム

紫陽花がそろそろ見ごろだというので、鎌倉の名月院に行くことになった。      

今年歯科研修が終わった娘は、勤め始めて間もないうえ、自動車教習所にも通っていたため、生活のリズムが私たちと合わなかったが、久しぶりに付き合ってくれることになった。息子は歯科大3年生で学校があるので、今日は不参加だ。

今年の紫陽花は花付きが良く、見事に咲いていた。デジカメの電池を切らした私はテンションが下がり、つまらなそうにしていたら、娘がデジカメを貸してくれるというので写真が撮れることになった。

久しぶりに娘のショットを撮る。

​

小さい頃はたくさん撮ったが、大人になって一緒に行動することが少なくなり、写真も少なくなった。

紫陽花をバックに何枚か撮影した。

帰宅後、パソコンに入れて名月院の紫陽花の写真を家内と鑑賞していた。

​

「こんな写真、私も持っている」と一緒に見ていた家内が突然二階に上がり、納戸から昔のアルバムを引っ張り出してきた。

​

それはちょうど今の娘と同じ年頃、今から約30年前の写真であった。

やはり名月院の紫陽花をバックにした一枚の写真だった。

​

それは私と家内が共に人生を歩み始めた年でもある。

若き日の結婚

筋を通さない付き合い方をした私たちは、義母の賛成を得られなかった。

 

そればかりか母娘の仲も険悪になり、

最後には家出をするようにして私のところにやってきた。若気の至りか、

親の理解を得られないまま結婚することになった。

​

普通は家と家の結婚式を挙げるのだが、私たちは両親の出席が無い、

個人と個人の結婚式の形式をとった。

その時、二人で勤めていた医院の院長先生に親代わりになっていただき、

40人しか入れない小さな式場で結婚式を挙げた。

 

当時は歯科業界はまだ景気が良く、開業して二人でやっていける自信はあった。

 

私たちは一生懸命働いた。

 

02a.png
義母との和解

義母の気持ちも考えず月日が流れた。

 

それから三年後に娘が生まれた。

生まれてくる子供のためにも、義母との和解を申し出た。

​

しっかり生活をしている私たちに義母も反対する理由は無く、初めはギクシャクしていたが、行き来ができるようになった。

娘は順調に育ち、息子もできた。

​

私たちは子育てを楽しみ、月日はたった。

頑(かたくな)な義母

​30年が経ち、そんな気丈な義母も歳老い、90歳になった。

​

長い間一人暮らしをしていたせいか、少しずつ反応が悪くなったと家内がいう。

​

足が不自由になり、買い物に行くのも一苦労だそうだ。

​

あるとき、買い物からなかなか帰れなくなり、家につく頃には辺りは暗くなり、鍵を開けることもできず、近所の家に助けを求めたこともあった。

そして入院

介護保険を使い要支援認定を受けるが、人の世話を嫌う義母はなかなか受け入れない。

 

他人が自分の家に入り、自分の城をいろいろ触られるのが我慢できないようだ。

 

気丈な義母は、人に迷惑をかけるぐらいならこのまま死んだほうがましだと考え、意固地になっていた。家内や義姉の説得も聞き入れない。​

​トイレの回数を減らすため水分を摂らなくなり、今年の2月にとうとう脱水症状を起こし、倒れてそのまま入院した。

​

義母は生きる気力もなくなっていた。

 

どうしたらいいのか、みんなが心配した。

点滴をして少しずつ回復し、自分を取り戻してきた。

私たちは義母の今後の生活を考え、一人暮らしではなく、そのまま施設に預けた。

​

初めは戸惑いもあったが、施設の人の温かい介護のおかげと、自分と同じ境遇の人たちを見て諦めがついたのだろう、少しずつ生活に慣れてきた。

03d.png

そうこうしているうちに左足が麻痺して全く歩けなくなり、トイレに行くのも這っていくようになった。

半年ぶりの帰宅

*8月*

暑い日が続いていた。

​

倒れてから6ヶ月ぐらい経つが、一度も自分の家に帰っていない義母を、家に連れて行くことになった。

​

私は久しぶりの対面である。

​

ベッドの隅に座っていた義母は元気そうだ。

久しぶりの挨拶を交わし、車椅子に移るのを待った。

慣れたものでベッドから車椅子には自分で座れた。

車椅子を押して車まで移動した。

​

下は砂利道で不安定な駐車場だった。

ドアをいっぱいに開け、恐る恐る車に移る。

一人では到底無理なので手を貸して何とか後部座席に座らせた。

義母は申し訳なさそうに私に礼をした。

「そんなに気を使わないで」と私は言い、車を走らせた。

04c.png

施設と義母の自宅はそれほど遠くはなかった。

久しぶりに見る外の景色が気分転換になっているのだろうか、穏やかな顔をしている。

20分ぐらい走り、車は義母の家に到着した。

​

自宅の出入り口が狭く、階段が3段あった。

目と鼻の先に玄関があるのに、車に乗ったときのように自分では降りられない。

自分で玄関まで行こうと幾度か挑戦するが、どうしようもできない。

 

見かねた私が、開ききらない車のドアを気にしながら、

頭がぶつからぬよう義母を抱き上げ、玄関まで抱えていった。

04a.png

しかし玄関に座った義母は、突然泣き崩れた。

何事かと思った。

 

どこか強くぶつけたのかと思い、「痛くした?」と聞くと、

「いいや、清ちゃんに抱かれて煩わせたことがとても申し訳ない」と

涙が出ているのだと言う。

自分のご主人にさえも抱き上げられたことが無かった義母を、

私に手間をとらせ本当に申し訳ないということだった。

「そんなこと気にしないで」と言って、私は先に部屋に入った。

​

義母は自分の家に帰って来れて、とても嬉しそうだった。

04b.png

一瞬の出来事であった。

抱き上げて、支えて

私は近寄り手を貸し,立たせようとしたが、骨が思ったより細く、勢いをつけて起き上がらせると骨折する恐れがあるので、義母の腕をつかみ私の首に抱きつかせ、胸と胸を付け、ゆっくり立ち上がり、一歩一歩ソファーに歩いていき、ゆっくり腰掛けた。​

05e.png
05c.png

自分で奥に入ると言うので待っていたが、なかなか来ない。

心配して見てみると、長い間ベッド生活だったせいなのか

筋肉が衰え、体が思うように動かないようだった。

義母はまた涙を流し、手を合わせ私に感謝した。

​

こんなに人から感謝されたことは今まで一度も無い私は、戸惑った。

​

しかし、本当に心から私に感謝している様子が心に伝わる。

05b.png
05d.png
自宅の片づけ

妻は義母の家の整理を始めた。

​

今まで住んでいた自分の家だが、もう自分ではどうしようもなくなっている。

妻が義母に必要なものとそうでない物、これから着る物、

着ない物を尋ねながら整理する。

思い出深いものも多く出てきて、なかなか捨てられない。

​

心を鬼にしてけじめをつける。

もう自分ではどうしようもないことを自覚している。

私は見ていてかわいそうに思うが、どうしようもない。

お互いにけじめをつけて処分していかなければ事が進まない。

06a.png

​妻が2階の物を整理しに行き、義母と二人きりになった時、義母がつぶやいた。

 

「生まれてくるときも大変だけど、死んでいくのも大変なんだよね。

自分じゃ何もできないのだから」

 

義母の言った「大変」の言葉の意味が重く感じた。

​

戦争の時の大変、子育ての時の大変、伴侶を亡くしたときの大変、

時代の移り変わりの大変、自分一人で生きてきたことの大変。

 

いろいろな「大変」を乗り越えてきた義母の言った「大変」の言葉に、私は言葉が詰まった。

 

06b.png
06c.png

妻は2階から紋付を持って降りてきた。

もう誰も袖を通すことは無いだろうその紋付のたたみ方を、義母は妻に教えている。

少しでも自分の経験を子供に伝え残そうという親心だろう。

妻も教えに従い、紋付をたたみ片付けた。

もう二度と帰ることの無い自分の家にけじめをつけ、

人生の幕を引き始める時が近づいていることを自覚している義母は、

覚悟ができているようだ。

今まで住んでいた家を眺め、優しい目をして座っていた。

お墓参り

長い時間が過ぎ、家の中は片付いた。いよいよ自宅とのお別れの時間が来た。

私たちはついでにお墓参りも行くことを提案した。

遠慮深い義母はこれ以上私に手間をかけさせることを嫌い遠慮したが、私が半ば強引に連れて行くことにした。

車に乗せ、お墓まで走った。家とお墓はそれほど遠くなかった。

お墓に到着し、義母の腕を私の首に抱きつかせ、胸と胸をくっつけてゆっくりと持ち上げる。介護する方もされる方も少しずつ慣れて、動きがスムーズになった。

お墓は小高い丘の上の方にあった。車椅子に座らせ、坂道を登る。
 

「もう此処でいいから。此処からお参りするから」と何度も遠慮していたが、

お墓の前まで担いで行った。

義母は涙を流して喜んだ。もう二度とお墓参りはできないと思っていたのだろう。

諦めていた夫の33回忌がお参りできて心のつっかえが無くなったと喜び、

何度も何度も私に礼を言った。

「もういいから、もう十分だから」  私は義母の言葉を遮った。

06d.png
06e.png
06f.png
幕を下ろす覚悟

お別れの時間になり、私たちは義母を施設に送り届けた。

 

私は家に帰り、今日のことを考えた。

​

私たちにもいつかはこの時が訪れる。

​

死ぬまでが一生と思っていた私は、今日の義母の言葉を思い出し考えた。

​

死ぬ前の段階で自分ひとりでは生きていけなくなった時、家族に迷惑をかけないようにするには、自分の人生の幕を自分で下ろさなければならない。

​

その覚悟ができるか。

​

今までの生活を打ち切って、思い出も、自分の足跡も、すべて消えていく現実を受け入れられるか。

​

それはとても難しいことだと思った。

​

でも、そのときが来たらそのときは諦めるしかないんだと、思い知らされた。

bottom of page